반응형 율령제2 쿠마모토현의 역사 6 - 율령제와 흰거북이 이야기 율령제 飛鳥時代から導入された律令の調庸のうち、肥後から納められる特徴的な品目に繭綿と絹織物があった。これは『和名類聚抄』および『続日本紀』中に、貢進される数量の多さとともに記されている。また、紫草も多く貢上され、これらは平城京跡や大宰府から出土した木簡にある記述に裏付けられている。この他にも、朝廷の正月節会料のための「腹赤魚(はらか)」など海産物の献上記録などが残されている。肥後国の納税能力は高く、『弘仁(主税)式』に記録された出挙稲数では、九州総計459万束のうち123万束を肥後国が占めている。そのため公営田制導入において肥後国は、延暦14年(795年)には国等級区分が「上国」から「大国」へと昇格され、その中心を担う一国に据えられた。 아스카 시대부터 도입된 율령의 조세제도인 조용(調庸) 중에, 히고에서 올라온 특징적인 품목으로는 겉풀솜(繭綿)과 견직물이 있었다. 및.. 2023. 7. 26. 쿠마모토현의 역사 5 - ‘히고’ 명칭의 유래 ‘히고’ 명칭의 유래 令制国「肥後国」が史書に初めて記されたのは、『日本書紀』持統十年四月戊戌紀にある白村江の戦いで捕虜となり33年ぶりに帰国した兵士「肥後国皮石郡(合志郡)人の壬生諸石(みぶのもろいし)」について記述した箇所に見られる。朝廷は、帰国した彼と家族の労苦に対し水田や物品を与え、また税の免除などを以って報いたとある。 율령국인 ‘히고국’이 사서에 처음 기록된 것은, 지토(持統) 10년 4월 무술(戊戌)기다. 여기에는 백촌강 전투에서 포로가 되어 33년만에 귀국한 병사 ‘히고국 카하시군(皮石郡, 현 코시군(合志郡)) 사람 미부노모로이시(壬生諸石)’에 대해 기술된 부분이 있다. 조정은 귀국한 그와 가족의 노고에 대해 논과 물품을 주고, 또한 세금 면제 등으로 보답했다고 한다. 日本書紀の次に編纂された「続日本紀」文武二年五月二十五日条.. 2023. 7. 24. 이전 1 다음 반응형